KAKIAN

催し物のご案内

『デザインサーベイとしての昭和建築家』 

講演会日程
  • ・「藤井厚二」2009年4月11日(土)
  • ・「山越邦彦」2009年6月13日(土)
  • ・「蔵田周忠」2009年9月5日(土)
  • ・「広瀬鎌二」2009年10月24日(土)

「広瀬鎌二」(1922~2012)

◆ SHシリーズ

250x213x0910hirose.jpg.pagespeed.ic.v017NWej1r日本の戦後住宅、特にその工業化の試みの過程を考える上で、広瀬鎌二の存在を忘れるわけにはいかない。
戦後、広瀬はなぜ、鉄骨住宅を目指したのか。SH-1・SH-13・SH-30という彼の代表作はどのような試行の上に生まれたのか。そして今日のポストモダンの住宅状況を彼はどのように見ているのか。

『建築知識1989年1月号』特集・住宅の[’50年代]
特集インタビュー(聞き手:本吉康郎氏)より

~お客様より~
『デザインサーベイとしての昭和建築家-広瀬鎌二』

前回の蔵田周忠に引き続き、旧武蔵工業大学の重鎮であられる広瀬鎌二が、この『デザインサーベイとしての昭和建築家』の最終回(10/24)として取り上げられた。我が研究会でも十二分に勉強し成果を得てきたのであるが、流石に当事者からの意見を聞く術は得られなかったためか隔靴掻痒(かっかそうよう)の観が拭いきれなかった。
主催された鈴木工務店の鈴木亨社長さんをはじめ、講演者の矢野和之さん、松成和夫さんは、まさに蔵田.広瀬なる旧武蔵工業大学シューレ(学派)の教育そして薫陶を受けてきたひとたちであり、彼ら以外にも広瀬研OBの方々の参加も予想され、そうした座談から享受できるであろう広瀬鎌二の貴重なお話が伺えたなら・・・という思いで参加してきました。
わたしは、蔵田周忠の血をどのように大学教育の場、それからデザイン思想として継承してきたのか・・・ということのひとりとして広瀬鎌二を以前から考えていました。
一般には、ディテール、プレファブ、モデュ-ル論としての鉄骨『SHシリーズ』がその社会的評価ではあったのであろうが、晩年には、巨匠と謂われる建築家が必ずと言ってよい程、最期に執着する「伝統」への 強い想いが研究やら論文、作品となって紡ぎ出されて・・・その果てとしての「俊乗房重源」の語りべ(建築のイデア)なのでしょう。そんなところを矢野さんは「歴史を現代の建築・都市にどう生かしていけるのか」と切り込まれた。歴史や伝統やらを単なる考証や知識として止めるのではなく、それを踏まえてどう現代(時代感)に現代の言葉で伝え、新たなる創造または議論をしていけるのかが課せられているし、そこに美学の存在を躊躇する態度があってはならないとも思い至りました。過去の藤井厚二、山越邦彦の環境エコロジー的なる発想の先駆としてではない蔵田周忠、広瀬鎌二の「昭和なるもの」とは何か、旧態依然としてあまり語られてこなかった建築界アカデミズムの土壌に於いて、いまこそ鼓吹(こすい)されるべき時なのではないかと考えております。就中、蔵田と岸田は「昭和なるもの-日本モダニズム建築」を影で牽引してきた最大の功労者であったことを・・・。わたしは、クリエーターの評価というものは作品の表面に顕現されるものだけではなく、作者の「こころ」を紐解くものであってほしい(作品がなければ研究や論説などでも)と過去の研究会を通して常々考えてきました。
最期に、広瀬研究室OBの方々の努力で「広瀬鎌二アーカイブス」の成果が書として纏められ、世に発表されること、祈るばかりであります。

本企画開催に当たり、山本成一郎設計室様、写真家・北田英治様、ライフフィールド研究所様、その他ご尽力賜りました皆様に、厚く御礼申し上げます。(可喜庵)

「蔵田周忠」(1895~1966)

◆ 民家と乾式工法

0909kurata等々力住宅は幸いなことに、古仁所邸を除く他の三棟の外装は改修されているが、全部の建物の平面はよく保存されていて、創建当初の面影をほぼ完全に残していた。このことは蔵田周忠という建築家が新しい住宅建築を設計する場合の姿勢をよく物語っている。―(中略)この40年間に中には代替わりしたお宅もあるのに、4棟とも増築以外の平面の変更はもちろん、造作もあまり改造していないということは、先生の設計した住宅に住む人たちが一様に《使い易い家だ》といっているのと符合する。
先生の住宅のプランは当時としてもそれほど目新しいものではなく、むしろ新生活運動のの主唱者であった一群の建築家達の中ではドロくさささえ感じさせるほど平凡である。しかし詳細に検討すると成程と感じさせる綿密な神経の行き届いた設計であることがわかる。これは、当時の座談会や記事などに見られる伝統的な固有の生活をもとにした新生活への発展という考え方が作品に現れた結果であるといえるし、また収納や動作の研究をしたレポートも残っているので、住宅の生活機能については入念な考証が行われたと考えてよい。
(「蔵田先生のこと」広瀬鎌二)

~お客様より~
「『デザインサーベイとしての昭和建築家』雑感」

以前から気にかけていた『デザインサーベイとしての昭和建築家』の展示・講演会・懇親会に参加してきました。今回、テーマが「蔵田周忠 Chikatada Kurata」ということでわたしにとっては、数年前の日本のモダンハウス研究会での成果もあり、また講演者の矢野和之さん、松成和夫さんなど蔵田先生の孫弟子筋(旧武蔵工業大学広瀬研究室)にあたる方からのお話が聞けたことなど、貴重な体験でありました。主催された鈴木工務店(鈴木亨社長、畑さん)様には懇親会にて御馳走に預かり改めて感謝申し上げます。
さて、参加してみて蔵田周忠という建築家の当時のエスプリぶりを理解でき、また翻ってそれを把捉する(理解したうえで今日的に批評が加えられる粋まで突き詰める)といった点まで期待するのは兎も角としても、蔵田周忠という稀代の建築家のことについて会話ができたことは嬉しい限りでした。ただ、話しの筋(旧武蔵工業大学OBの退嬰的な思考など-松成談)に立脚してみると、逆に蔵田評価(良い意味悪い意味)がアカデミーから封印されてきている現状を垣間見たようにも思われました。隣席していた近代建築史が専門であられる津村泰範さん(矢野さんの文化財保存計画協会に勤務-調べると、藤森研究室で立原道造、生田勉についての修士論文を出されている)からも蔵田のようにあまり知られていない建築家たちの仕事の成果(学的研究)がまだ埋もれているとおっしゃっておりました。わたしは懇親会の席上でこの蔵田周忠の戦前期(モダニズム受容と啓蒙)と岸田日出刀の戦後期(モダニズム受容とその戦略)の行動に、いまの日本建築界の有り様(昭和なるもの)が集約されているのではないか、そして推測ではありますが、単なる作品評価的な観点からではなく建築のよき周縁環境の構築に欠かせない人物として・・・。こうしたパーソナリティを極力排除してきた建築界(評論という「場」についても)は、いま安楽(平和)なのか逆に窮屈な行き場を彷徨っているのか・・・そういった現況を彼らの師やその弟子筋のひとたちはどのように見ているのだろうか・・・そんな事が交錯した一日でありました。

本企画開催に当たり、智書房様、写真家・北田英治様、神戸大学准教授・梅宮弘光先生、D.D.C様、ライフフィールド研究所様、その他ご尽力賜りました皆様に、厚く御礼申し上げます。(可喜庵)

「山越邦彦」(1900~1980)

◆ エコロジカルデザイン/ドーモ・ディナミカ

0906yano-DOMO MULTANGLA彼の志向するものは「人間を健康にする家をつくる」ということであり、住宅平面上のいろいろの試みから始まり、床暖房などの設備関係、竹のスプリングを利用した健康ベッドなどの家具関係と幅広い。また、彼はその他の健康上問題がある飲食物や薬などに対しても警戒を怠らない。
-(中略)-科学のための科学ではなく人間を原点とする科学者としての行動の具現化に他ならないであろう。またDOMO MULTANGLAなどに見られる、自然環境の中に人間が入り、生態系を大切にしていこうとする思想の現われでもあるだろう。
(「建築文化7410」より 文:矢野和之)

~お客様より~
山越邦彦についてはまったく知りませんでしたが、ご案内に刺激されてwebで「芸術家としての建築家像を否定し、自ら「構築家」と称して科学性と社会性のある建築を提唱」という解説を読んで、建築意匠が「建築」行為を代表するものと錯覚しがちな昨今の風潮からすると、俄然興味が沸いてきます。
1920年代といえば、大正から昭和への移り変わり、小田急線が開通したころ、成城、玉川、和光といった大正自由主義教育が花開いたころ、と本当に活力があって、閉塞感を打ち破るような時代だったのでしょうか。

~この催しをご紹介いただいている記事(町田経済新聞より)~
山越邦彦(1900~1980)は東京帝国大学工学部(現東京大学工学部)建築学科卒業後、モダニズムの啓蒙雑誌「建築時潮」を編集。芸術家としての建築家像を否定し、科学性と社会性のある建築を提唱した。
主な作品のうち、1933年に発表した自邸・ドモディナミカ(動力学の家)では、乾式工法と床暖房、ピロティを採用し、当時としては画期的な提案を行った。またDOMOMALTANGLAでは、太陽熱利用のほか生ゴミとふん尿をメタンガスに変えて台所の燃料にするなど、リサイクルやエコロジーに基づいた住宅設計を提案。熱・空気環境にかかわる数多くの論文を発表した。

~野沢正光建築工房ブログより → 「山越邦彦」~

本企画開催に当たり、智書房様、山越邦彦研究会様、ライフフィールド研究所様その他ご尽力賜りました皆様に、厚く御礼申し上げます。(可喜庵)

「藤井厚二」(1888~1938)

◆ 環境共生実験住宅『聴竹居』

0906yano-chouchikkyoこの時期の住宅には、西洋と日本の融合とともに、日本人に内在する二つの造形意識の化合を試みた作品が存在する。
大山崎の淀川を見下ろす緑豊かな尾根上に、藤井厚二は実験住宅を建て続けた。
この最後の作品が聴竹居であり、彼の住宅に対する答えがすべて表されているといえるものである・・・
(中略)すべての日本人に内在する空間イメージと西洋のエッセンスを坩堝の中に入れて融和化合した結果がこの聴竹居に凝縮しているためであろうか。 
(矢野和之著『空間流離』より)
本企画開催に当たり、『聴竹居』様、智書房様、ライフフィールド研究所様その他ご尽力賜りました皆様に、厚く御礼申し上げます。(可喜庵)

■講師 矢野和之先生プロフィール (文化財保存計画協会ホームページより)
1946年 熊本県生まれ
1969年 武蔵工業大学工学部建築学科卒業
1971年 同大学大学院工学研究科(建築学(建築計画専攻))修士課程修了
1977年 同大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学
現  在
(株)文化財保存計画協会代表取締役
駒澤大学文学部非常勤講師
武蔵工業大学大学院非常勤講師
日本イコモス国内委員会事務局長
財団法人 永青文庫評議員
社団法人 日本ユネスコ協会連盟世界遺産専門委員会委員
岩手県平泉町景観形成審議会委員
三重県鳥羽市まちづくりデザイン戦略会議委員
(文化財建造物保存修理、遺跡保存整備等、国内外プロジェクトに参画)
著  書
空間流離
甦る古墳文化
歴史のまちのみちづくり(共著)
都市の水辺をデザインする(共著)
パッシブ設計手法事典(共著)
歴史を未来につなぐまちづくり・みちづくり(共著)
その他、修理報告書等多数

■主催者のことば
『デザインサーベイとしての昭和建築家』によせて [可喜庵亭主・鈴木亨]
地球温暖化問題が大きくクローズアップされてから久しくなります。1997年年12月には京都議定書が採択されました。しかし、一向に我々を取り巻く環境は解決を見ないようです。住宅は、大きなエネルギーを消費しています。
1928年京都山崎の地に実験住宅で自邸の「聴竹居」が建築家・藤井厚二によって完成しています。
日本の気候を科学的に検討し、小屋裏、床下に通気を積極的にとるパッシブな「環境を科学」した記念碑的住宅です。
建築家・山越邦彦は「熱・空気環境に関わる」多くの論文を発表しています。エコロジカルな思考で2軒の実験住宅を完成。1933年完成した自邸には通気・換気・防湿防腐への配慮、太陽熱温水器、床暖房を製作し採用しています。
蔵田周忠は「白い箱モダニズム」の住宅を手がけた民家研究者、家具デザイナーそして、教育者でもあった。「生活をデザインする」ことを中心に活躍した建築家です。
広瀬鎌二は、戦後住宅、特にその工業化の試みの上で大きな存在となっており、SHシリーズという一連の鉄骨住宅を世に問うた建築家です。
エコロジーが声高に叫ばれる今日、1930年代、1950年代以降に活躍した建築家を今一度、「環境」「工業化」等の視点でデザインサーベイする意義があるのではないでしょうか。
可喜庵では、昨年夏、法政大学宮脇檀ゼミOBの協力で「デザインサーベイ図面展」を開催しました。
「温故知新」は可喜庵を象徴する言葉であり、デザインサーベイを通して新しい何かを見つけられればと思い、四人の建築家に精通する矢野和之氏にお願いしました。

催し物のご案内一覧へ