
家は、完成した瞬間がいちばん美しい――
そう思われがちですが、私たちは必ずしもそうは考えていません。
むしろ、家は「完成したとき」よりも、「人が住み、時間とともに」こそ変わり、完成の域に到達すると感じています。
原点は、茅葺き古民家「可喜庵」

鈴木の家づくりの原点は、自身の曽祖父の隠居小屋として19世後半に建てられた茅葺き古民家「可喜庵(かきあん)」です。
曰く、「ここで生まれ、人生の大半を暮らして印象に残ったのは、 “単純さ”」だということ。
平面は驚くほど素直で、だから構造もシンプル。
余計な仕掛けはなく、間仕切りを開け放てば一気に大きな空間が立ち現れます。
用途を細かく決め込まないからこそ、人の集まり方や時間の過ごし方に、自在に応えてくれる懐の深さがありました。

収納は、決して多くはありません。
現代の住宅基準で見れば「少ない」と感じるでしょう。
けれど不思議と、不便さよりも清々しさが勝ります。
持ちすぎないこと、無駄な買い物をしないこと。
暮らしそのものを見つめ直させる、静かな配慮がそこにはあるような気がします。
空間が人を律し、人の振る舞いが空間を育てる――
可喜庵には、そんな空間と人との関係性が自然に成立していたようです。
住むことで、家は変化していく

完成引き渡しは、ひとつの節目です。
しかし、それはゴールではなく、暮らしのスタートラインに過ぎないと思います。
家具が入り、カーテンが揺れ、生活音が満ちていく。
朝の光の入り方、夕方の影の落ち方、季節ごとの空気の匂い。
住む人の手で、家の雰囲気は大きく、そして確実に変わっていきます。
数年後、あるいは十数年後。
久しぶりに訪れたお住まいで、私たちは時折、想像を超えた光景に出会います。
そして、そこはなぜか心を打つ空間になっているのです。
住む人の暮らしぶりが、そのまま滲み出たような佇まい。
それは、設計図の中では決して描き切れない価値です。

人の思いは、時間とともに変わります。
家族構成、働き方、休日の過ごし方。
暮らしの重心は、静かに、しかし確実に移ろっていきます。
だからこそ、家は「固定された器」であってはいけない。
可喜庵がそうであったように、変化を受け止め、使いこなされ、住み手の工夫によって更新されていく器であるべきだと考えています。
「完成=ゴール」ではなく、人生に伴奏する住まい
私たちが目指すのは、変化を拒まない家です。
用途を固定しすぎない間取り。
時間とともに風合いを増す素材。
傷や使い込みさえも、暮らしの記憶として受け止める余白。
住む人が主役になり、家がそれに静かに応える。
そんな関係性こそが、長く愛される住まいを育てます。

「完成=ゴールではない」という言葉には、
家づくりが“建てて終わり”ではない、という私たち自身への戒めも込めています。
暮らしの節目で思い出してもらえる存在であること。
住まいと人生の変化に、寄り添い続けること。
家は、人生の舞台であり、記憶の器。
そして、日々の変化に耳を傾けながら、そっと伴奏し続ける存在です。
茅葺きの可喜庵が教えてくれたその本質を胸に、
これからも、「完成しきらない余白のある家」を求め続けます。






