徒然とおる 『蔦重から一葉迄』~かきのたねvol.60より

今回の建築まち歩きは、浅草寺境内本堂右奥に建つ三社祭(三人を祭っているのでこの名がついている)で有名な「浅草神社」鳥居前からスタートしました。

浅草神社

目指すは、山谷堀(現在は緑道)に並走する旧日本堤、現土手道を経て大河ドラマ「蔦屋重三郎」でおなじみ「新吉原」へ向かいました。建築家岡田信一郎兄弟設計の洋瓦葺きのRC造3階建ては本堂兼住宅になっていて、浅草寺住職や関係者の家だそうです。それら棟が一画にまとまって並ぶ路地が長屋のようで面白い。その新吉原から山谷堀へ出て江戸時代にくず紙を洗って、色の黒い粗末な紙で落し紙に使う「浅草紙」を再生製造していました。新吉原に出る手前に、木造の登録有形文化財2棟(1927)の天麩羅屋と馬肉鍋屋がくっついて残っています。

登録有形文化財の天麩羅屋と馬肉鍋屋

火曜日は休日で人だかりもなく、じっくり見学。建物には味わいがありましたが、やはり舌で味わってみなくては。さて日本橋富沢町にあった元吉原が明暦の大火(1657)で焼失後、わずか半年で浅草の田圃の真っただ中に築かれたのが、新吉原です。敷地は6町規模2万坪で規則的に町分けしてあり、道路だけが往時をしのばせています。日本堤の見返り柳から緩やかな坂を下っていく三曲がりの50間道(極楽とこの世の間が50間)の先に大門が現れます。沿道に「耕書堂」もあったようです。昔の面影は何も残っていません。この後は、弁財天、鳳神社そして樋口一葉ゆかりの龍泉へ向かいましたが、道はぐじゃぐじゃでした。今年は二の酉迄で、訪れたのはその前日だったため的屋のお兄さんが準備の最中で、その心意気は中々のもの。大小、意匠とりどりの熊手が立錐の余地なく飾られていたのは壮観でした。

酉の市の熊手

当日はこれまた立錐の余地ない人出になるようです。24年8か月で没した一葉の記念館(2006)はスッキリとしたデザインで、自室原稿の字の流麗さに感動した一日でした。

一葉記念館

この記事の著者

鈴木 亨

会長

鈴木 亨

Suzuki Toru

一級建築士

大学卒業後にイギリス、フランスで約5年間暮らしました。その間、ERNO GOLDFINGER設計事務所、RSRP設計事務所に勤務しました。欧州と日本の二つの原風景から、残したくなる「普通の家」を創るたのしさを知りました。好きな言葉は「桃李不言 下自成蹊」。