日本の家ーハイムM1

竹橋、国立近代美術館、
「日本の家」を観に行ってきました。

 

戦後の焼け野原から、高度成長を経て、現在に至るまで、

その背景とともに、変わっていった日本の建築・家は、

公共建築も個人住宅も同じ建築家が手がけるという

日本特有のスタイルとなり、

昨年秋のローマ、ロンドンの好評を受けて、

この度東京でもと、なったようです。

 

建築学科の学生さん達でしょうか?
パシャパシャ‥あちらこちらで
それはもう熱心に観ていらっしゃいました。

 

たぶん弊社設計の誰かが、西野にレクチャーしてくれれば、
もっと違った楽しみができたのかもしれませんが、

今回は、『プロトタイプと大量生産』と題されて、
紹介されていた、セキスイハイムM1 という

高度成長時代の工業化の家 のことを知りたくて、参加しました。

 

実は私、この家で育ちました。

正直、決して恵まれた住環境ではありませんでしたが、
弊社勤続15年、今なら、もう少し頑張って、
上手に住み続けられたかもしれません。

いや、やっぱり寒いかな?

 

同じ『プロトタイプと大量生産』の紹介として、

2015年夏、設計のものと見学した

黒川紀章《中銀カプセルタワービル》の建築時のビデオや、

中の宇宙船のような暮らしぶりも観ることができて、

やっとスッキリいたしました。

 

この存在を教えてもらってからというもの、

いったいこれはどうやって作ったのか?

中はどうなっているのか?と私の中で、永遠の謎だったのです(笑)

 

建築のケの字も知らなかった私ですが、こうやって

建築展を一人でも観に行くようになりました。

 

住むということは、やはり人が生きること、

その人の人生そのもので面白いです。

 

ハイムM1が

高度成長時代を駆けぬけていった父の人生、

そのものであるように・・・(西野博子)

もう取り壊してないM1の実家です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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