徒然とおる 『ウインドウ ショッピング・ 神田から 銀座4丁目へ』~かきのたねvol.61より

その日は、神田駅から出発。中央通りには、江戸初期に整備された五街道が集結し、南には400年間メインストリートであり続ける東海道が銀座を抜けます。神田から日本橋までは、中山道と甲州道中が、石町(現 日本橋本石町)では、浅草橋から奥州と日光の2つの道中が合流。ところで東京の近代建築の大半は、関東大震災後の復興建築ですが、現代建築のはしりの1950~70年も含め、多くが建て替え時期を迎え消えようとしています。そんな中で、わずかに現存する近・現代建築を巡りました。
丸石ビル(1930)はアール・デコ様式で、1階にはアーチが連なり、黄道12星座が彫刻されています。この建物は墨田川へ注ぐ竜閑川に接道ならぬ設川しており、当時は海外交易も盛んだったようです。

丸石ビルというと、丸石自転車の記憶がよみがえる。

中央区に入ると様相は一変し、アメリカの設計事務所に設計を依頼した三井本館(’29)、道路を挟んで三越日本橋本店( ’27)があります。そして西隣は日本銀行です。三越に対面する中小ビルが並び立つ2ブロックがまさに解体され、再開発準備中。日本橋のたもとの野村ビル( ’30)は表層を残して解体完了。上空を走る首都高も地下に潜るそうです。

三井本館は現役銀行、威厳ある吹抜けのロビー。

三井本館の対面には三越日本橋本店。

日本橋交差点にある柳屋ビル( ’64)は、60年代そのものの外壁ガラスブロックと黒石のストライプが印象的。

1615年からこの地で続く化粧品メーカーの柳屋ビル。

高島屋( ’33)と京橋の明治屋( ’33)は、建物を残して敷地が再開発されています。隣接する新ビルとのバランスが絶妙で、好感が持てる再開発になったと思います。

高島屋

そして銀座。今では欧米のブランドショップが軒を並べており、当時のようなウインドウショッピングを楽しむ高揚感はなく、「銀ブラ」を懐かしむ昭和世代がおりました。教文館ビル( ’32)、四丁目角に君臨する和光( ’32)、対面の三愛ビルは解体済。高く伸びるビル群で空が狭く、首が疲れました。どんな街並みが次の50年のために設えられるのでしょうか。そして、富士山はどこに!

教文館ビルは内部が2つに分かれていて、階段も2つ、銀座でもっとも古い回転ドア(?)がある。

この記事の著者

鈴木 亨

会長

鈴木 亨

Suzuki Toru

一級建築士

大学卒業後にイギリス、フランスで約5年間暮らしました。その間、ERNO GOLDFINGER設計事務所、RSRP設計事務所に勤務しました。欧州と日本の二つの原風景から、残したくなる「普通の家」を創るたのしさを知りました。好きな言葉は「桃李不言 下自成蹊」。